「ハワイ・マレー沖海戦」 評価★★★☆ 日本特撮映画の原点ここに
あり
1942
東宝 監督:山本嘉次郎 企画:大本営海軍報道部 特撮:円谷英二
出演者:藤田進、伊東薫、原節子、大河内伝次郎ほか
117分 モノクロ
日本の戦記映画、特に特撮映画にとっては原点と言うべき名作。制作公開は1942年12月8日だが、戦後GHQの接収により永らく失われており、
1967年に再上演がなされている。本作はいわゆる国策映画であり、日本海軍の真珠湾攻撃、マレー沖海戦など快進撃を表したものであるが、意外にも毒々し
い国威もさほど感じられないし、むしろ飄々とした爽快感が漂っている。主人公のような人物設定もあるが、あまり突っ込んだものではなく、どちらかというと
戦記的な要素が強い。ただし、この映画の公開時には、ハワイで大戦果をあげた空母赤城、加賀、飛龍、蒼龍はすでにミッドウェー海戦で撃沈されている。その
ことを知らされていない国民が、日本軍の大戦果に歓声を挙げているかと思うと、いささか悲しいものがある。あと、予科練訓練風景で事あるごとに「攻撃的精
神が足らない」「犠牲的精神でことにあたれ」「気合いの精神でやってやれないことはない」と全てが精神論で片づけられるのはさすがに時代の差を感じるが。
本作のもう一つの特徴は円谷特撮にある。全編のうち特撮部分は多くないが、ハワイ攻撃シーン、マレー沖海戦シーンはこれが戦前の日本の技術かと思うほど
秀逸。このハワイ攻撃シーンなどは戦後の特撮映画にも負けない出来である。飛行時の滑らかな動きとブレのない移動は実に素晴らしいの一言。一説によると
GHQは実写だと思って持ち帰ったとの逸話もあるほどだ。また、ハワイオアフ島の模型も実に緻密だ。石油タンク、格納庫に至るまで細かく作り上げられてい
るものを惜しげもなく爆破している。さらに、停泊中の米海軍艦艇類も精密で、魚雷攻撃等による爆発シーンは立ちあがる水柱、破片、炎と後世の特撮をはるか
に凌駕する出来だ。
また、忘れてはならないのは実物大スケールのセットである。海軍から映画製作を依頼された山本監督だが、実際の空母等の資料はほとんど供与されなかった
という。そこで、館山に実物大の飛行甲板(多分、艦橋も)を制作しての撮影だったようだ。従って、記録映像に加えて、スケールの大きい映像が仕上がってい
るのだ。演ずるのはほとんどが役者のようだが、予科練の分隊長役として藤田進、空母の艦長役で大河内伝次郎がわかるくらいで、他は無名の役者ばかりだ。そ
れが逆に無垢な演技に見えて、リアルさを生んでいるのが皮肉だ。
映画の前半部は海軍兵学校及び予科練入隊の若者の成長風景を中心に構成されている。従ってやや間延びした感があるが、後半からは一気に戦闘シーン満載の
アクション中心になる。実写映像、円谷特撮を織り交ぜた海戦シーンはもっと見ていたい気もするが、ちょっとあっけなく終わってしまうのは残念。
登場する兵器類としては、予科練訓練シーンで九〇式初歩練習機、九三式中間練習機が見える。九〇式初歩練習機のほうは「ツチ661」「ツチ651」の
マーキングが見えるので土浦航空隊である事がわかる。九三式中練のほうは「ヤ(もしくはア)-523」と見える。ヤなら谷田部空か。
空母乗艦訓練シーンでは空母の艦橋が大写しになるが、左舷艦橋になるので空母赤城か飛龍かということになるのだが、いささか形状が異なる。多分館山の原
寸大セットなのではないだろうか。それを裏付けるように着陸訓練をする九七式艦攻は「タ-314」とマーキングされている。
ハワイ真珠湾攻撃シーンになると、記録映像とと映画撮影が混在する。発艦シーンの零式艦上戦闘機では「AI-108、117、158」、九九式艦上爆撃
機では「AI-207」が見えるので空母赤城機であることがわかる。しかし、その後の九七式艦上攻撃機のシーンでは一変して「K-315、317」さらに
「タ-312、320」のマーキングになる。Kならば鹿屋空かな?タなら館山空所属機となる。
一方マレー沖海戦の方では、仏印基地駐機シーンとして九六式陸上攻撃機が登場する。尾翼には「M-352」のマークが見える。また飛行シーンとして特撮
が多いのだが、一部実写として「G-313、332」のマーキングをした九六式陸攻が映る。Mは美幌空で、Gのほうは元山空所属機となる。
艦船類としては、多分実写の空母、戦艦、巡洋艦が多少映るがあまり多くはない。やはり艦船類は機密事項だったのだろうか。
エンドの軍艦マーチは勇ましくも、結果を知っている我が世代からするととても寂しい。
興奮度★★★★
沈痛度★★
爽快度★★★★
感涙度★
(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)
昭和11年春。海軍兵学校に入学している立花忠明が帰省する。従兄弟の友田義一は自分も予科練に
入隊したいことを忠明に打ち明け、母親への説得を頼む。
父親も死に、男子一人の友田家にとって義一の入隊はきつい事だったが、母親も姉(原節子)も快く送り出すのだった。
予科練では厳しい訓練が行われる。絶対服従。攻撃的精神、犠牲的精神で事に当たり、どんな時も気合いの精神でやりきる事を徹底的に叩き込まれる。友田は
相撲の授業で技で勝ったことを諫められ、正攻法で勝てと言われるほどだ。
昭和14年になり、友田らはようやく飛行の実地訓練に入る。九三式中練に同乗しての訓練だ。
さらに年月が経ち、三飛曹に昇進した友田は雷撃隊に配属され、航空母艦の発着訓練にいそしむ。その夜間訓練で親友の林を事故で失う。実家に帰省した友田
は従兄弟の忠明から「腹を据えるべきだ」と説教を受け、東郷元帥の後遺髪のある廟を訪れて腹を据えるのだった。友田の母も、もう息子は国に捧げたものとし
て潔く諦めるのだった。
友田も二飛曹となりハワイ真珠湾攻撃が近づく。そして昭和16年12月8日、艦隊司令長官から「皇国の荒廃この一戦にあり」と攻撃が開始される。まずは
艦攻雷撃隊、水平爆撃隊、急降下爆撃隊、そして戦闘機隊とハワイ真珠湾の米軍艦船や飛行場を攻める。第二次攻撃隊も攻撃し、日本海軍は大戦果をおさめる。
翌12月9日、仏印基地では英国海軍のプリンス・オブ・ウェールズを追い求めて索敵を続けていた。潜水艦、索敵機の捜索にもかかわらずなかなか発見でき
なかったが、ついに第三索敵機谷本機が英国軍艦を発見。帰還を期しない捨て身の九六式陸攻が襲いかかる。レパレス轟沈。そして不沈戦艦プリンス・オブ・
ウェールズも撃沈させるのであった。
(2005/11/15)
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