「船団最後の日」
評価★☆ 英国商船の遭難と奇跡的帰還
SAN DEMETRIO
LONDON
1943
イギリス 監督:チャールズ・フレンド
出演者:ウォルター・フィッツジェラルド、マーヴィー・ジョーン
ズ、ラルフ・マイケル
ほか
94分 モノクロ
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第二次世界大戦時、米英間の物資輸送船団に従事したイギリス石油運搬船サン・デメトリオ号の遭難と奇跡的帰還を描いたドキュメンタリータッチのヒューマ
ンドラマ。サン・デメトリオ号の遭難・帰還は史実で、F・テニスン・ジェッシの原作をもとに多少の脚色を加えて製作されたものらしい。モノクロ映像にやや
雑な映像、ベタっぽい会話で構成されており、ドキュメントという重みに依存しすぎて、映画としては雑なイメージがあるが、製作年がちょうど命がけの米英間
物資輸送作戦真っ盛りという時期を鑑みれば、戦意高揚的な作品として重要な役割を果たしているのだとも言えよう。ちなみに、こうした軍に徴発された米英商
船の活躍を描いた戦意高揚映画はこの時期数多く制作されており、「栄光に死す(1939米)」「潜水艦轟沈す(1940英)」「北大西洋(1941米)」
「Uボート撃滅(1942米)」「暁
の雷撃戦(1944英)」など数多い。ただ、いずれも商船が主役なので、戦争映画としては若干淡泊で面白みに欠けるが。
米(ソ)英間の物資輸送船団はコンボイとも呼ばれ、アメリカが連合軍として正式参戦する以前から頻繁に行われており、ドイツ軍水上艦やUボートの格好の
餌食となっていた。本作の主役サン・デメトリオ号も1940年10月から11月にかけて
コンボイHX−84に参加し、テキサスのガルベストンから航空燃料12000トンを輸送していた。この頃はまだアメリカ軍は参戦していない上、護衛船も貧
弱であり、唯一の護衛は武装商船ジャービス・ベイ(6インチ
砲が8門)のみという貧弱なものだったらしい。ジャービス・ベイは独軍ポケット戦艦アドミラルシェアー(11インチ砲)に撃沈さ
れ、
フェーゲン艦長は死後ビクトリア十字勲章を授与されている。
本作で興味深いのは、他作品とやや異なって商船員の活躍ぶりを描くというよりは、一旦は火災により放置した商船を再び操船し、イギリス本土に積荷輸送を
成功させ、商船員がその対価を報償されるというストーリーである点だ。この頃の商船員の戦死率はかなり高かったものと思われるが、その恐怖を勇敢ぶりで打
ち払うだけでなく、対価の報酬という側面で高揚させようとする企図が見えてくるのだ。イギリスが置かれた立場と将来の不安という歴史的瞬間を背景に見てみ
ると、かなり興味深い題材と描き方だとも言えよう。
ちなみにサン・デメトリオ号は本作で描かれるように、無事輸送を成功させるが、後1942年3月17日にU−404によって
撃沈されているらしい。
一応は独軍戦艦アドミラルシェアーと船団との海戦シーンがあるものの、本作ではほとんど戦争映画らしい戦闘シーンはな
い。しかもサン・デメトリオ号自体は本物の商船を利用しての撮影だが、独軍戦艦や武装商船などはミニチュアを使用し、海戦や荒天シーンは特
撮や合成がメインとなっている。あとは船内内部、漂流中のボートシーンで、会話がメインとなっている。
船員のほとんどは英国人だが、一人だけアメリカ(カナダ系?)人が混じっており、この当時アメリカ人の勇士的参加があったことを偲ばせる。
このほか特筆される点としては、軍人ではない商船員たちの行動パターンと、エンジン機関の復旧シーン、海図もコンパスもない中での操船工夫などがあげら
れる。無為に死を選ぶのではなく、生に対する執着と経験が生き生きと描かれている。
全般に淡々とした流れで、さほど起承転結があるわけでもない。終盤もあまりにあっけない展開で、映画としての完成度は低い部類だろう。むしろ歴史的映画
として学問的に検証しながら見るには面白い作品かもしれないが。
興奮度★★
沈痛度★★★
爽快度★★
感涙度★
(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)
1940年10月28日、イギリスの油輸送
船サン・デメトリオ号はウェイト船長のもと
コンボイHX−84に参加する。船団はテキサスのガルベストンから航空燃料12000トンを輸送することとなり、船員の中にはカナダ系アメリカ人プレスト
ンも従事していた。
38隻の船団は唯一の護衛船である武装商船
ジャービス・ベイに守られて航行するが、11月5日、独軍ポケット戦艦アドミラルシェアーに発見
されてしまう。ジャービス・ベイのフェーゲン艦長は射程距離で勝てないことを分かった上で、戦艦に突進し囮となる。ジャービス・ベイは見る間
に火だるまとなり撃沈される。サン・デメトリオにも砲弾が被弾するが、ジャービス・ベイのおかげで夕暮れとなりなんとか離脱する。
だが、被弾は火災を起こし、積荷の航空燃料
への引火が危ぶまれる。ウェイト船長は船の放棄を決断し、2隻のボートに分譲して離脱する。ウェイト船長の
乗った25名のボートは途中で他船に救助されるが、二等航海士ホーキンス、機関長カール・ボラードの乗った16名のボートは漂流をし始める。
負傷したジョン・ボイルを乗せたホーキンス
のボートだが、水も食料も乏しく荒天に疲弊しきる。途中で船舶を発見するもそれは炎上中のデメトリ号だった。
また星を航空機と勘違いすることも。しかし、二日間を経過し疲弊がひどくなったために、ホーキンスらはサン・デメトリオ号に戻ることを決意する。
乗船したホーキンスらは火災を消火し、エン
ジンの再起動のため修理を始める。食料や水をかき集めるも火が使えず、さらに通信機器もコンパスも破壊されて
いた。ボートも失ってしまう。もはや自力で戻るしか手はない。
なんとかエンジンも復旧し、艦内通信の工夫
も行い、コンパスの代わりに太陽で航行することに成功する。だが、負傷したジョン・ボイルは弱って死亡してし
まう。ユニオンジャックに遺体包み、海葬するのだった。
7日間が経過し、ようやく陸地にたどり着
く。そこはアイルランドだったが、本社からの手配でタグボートに曳航されてイギリスに戻ることが出来る。積荷の
航空燃料はほとんどが無傷だった。この功績を讃えられ、海事審判所ではホーキンス、プレストン、ジョン・ボイルらに
1000ポンドなど報奨金が支払われたのだった。
(2010/01/26) |
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