戦争映画の一方的評論
 
「加藤隼戦闘隊 評価★★★☆ 軍神加藤建夫の伝記
1944 東宝 監督:山本嘉次郎 特技監督:円谷英一
出演:藤田進、高田稔、中村彰ほか
111分 モノクロ


 昭和19年3月製作の陸軍飛行第64戦隊長加藤建生中佐(死後少将)の伝記的映画。加藤中佐は個人撃墜機数こそ18機と少なめだが、その卓越した戦術と 部下思いの情の厚さで日本国民に慕われた人物である。また、第64戦隊は陸軍一式戦闘機(隼)を駆ったことでも著名だが、その隼の正式採用に奔走したのも 加藤中佐である。
 加藤中佐は1903年生まれで、所沢飛行学校、明野飛行学校の教官を経て、中隊長として中国戦線で活躍。1941年4月から飛行第64戦隊長(少佐)の 任につき、翌1942年5月22日に撃墜死している。本作は、その活躍から軍神とあがめられた加藤中佐を伝説的英雄として、第64戦隊着任から戦死までを 描いたものである。なお、同様に加藤中佐を主題に描いた映画としては、「あゝ 陸軍隼 戦闘隊(1969大映)」 がある。こちらは加藤中佐の私生活にまで焦点をあてたやや突っ込んだ内容となっている。
 
 本作の凄いところは、登場する航空機のほとんどが本物であること。加藤中佐らを演じるのは役者だが、実機を飛ばすのは本物のパイロットなのだ。空戦シー ンの半分くらいは円谷特技監督のミニチュア特撮だが、もう半分は本物の空戦実写である。97式戦闘機、一式戦隼、97式重爆撃機、97式輸送機が地上駐 機、飛行ともに大量に登場する。97式戦闘機は第64戦隊及び教飛204戦隊のマーキング、隼は第64戦隊、97式重爆は第12戦隊(北村隊)及び第60 戦隊(小山隊)のマーキングである。また、敵英軍機としてはミニチュア模型だが、バッファロー、ハリケーン、ブレニム爆撃機の姿が見える。
 円谷特撮は予想以上に良い。飛行状態があまり違和感のないスムーズさ。あり得ない挙動シーンも少ない。機体のアップシーンで、降下に入って開いていた風 防がバタント閉まるあたりは芸が細かい。細かいと言えば、地上爆撃シーンも実に緻密な模型を惜しげもなく爆破している。爆発も水中への着弾も実にリアル。 爆破シーンと逃げる人々の合成シーンも斬新だ。戦前にしてこの技術には驚愕だ。

 戦時中の映画であるため、ストーリーは勇壮に淡々と進んでいく。しかし、加藤中佐の温かく優しい心根を役者の藤田進が好演している。それだけに、単に戦 意昂揚というよりは、偉人の伝記といった感じが強い。戦局が相当悪化しつつある時期の、記録映画的としての価値が高いと言える。

興奮度★★★★
沈痛度★★★

爽快度★★★★
感涙度★★


(以下 あらすじ ネタバレ注意)

 昭和16年4月の広東。陸軍飛行第64戦隊の戦隊長として加藤建夫少佐が着任する。97式戦闘機を駆って到着する加藤少佐の元に安場大尉が駆け寄る。
 数ヶ月後、部隊に隼戦闘機(一式戦)が配備される。加藤少佐は自ら隼の特性を確かめるのであった。
 昭和16年12月初旬、部隊はフコク島へ転進。マレー半島攻略戦を実施する山下奉文中将の部隊の哨戒任務を与えられる。夜間飛行の危険な任務であった が、その帰路で高田中尉を失ってしまう。加藤少佐は経験の浅い者を情に流されて出撃させた事を悔やむのだった。
 12月8日には海軍が真珠湾攻撃に成功。第64戦隊はコタバルへ転進。任務はクアラルンプール爆撃の軽爆隊の援護任務だった。隼戦闘機での初の空戦が行 われる。
 12月25日にはラングーン爆撃の北村隊、小山隊の重爆隊援護任務に出る。加藤少佐は部下にくれぐれも援護であって敵戦闘機との空戦は避けるようにと厳 命するが、群がる敵戦闘機に部下達は深追いしてしまう。その結果、援護を失った北村隊は甚大な損害を出してしまう。帰還後加藤少佐は部下を激しく叱責す る。この出撃で機銃故障のまま出撃した中隊長代理奥田中尉が戦死する。
 翌年1月にはマレー作戦が実施され、部隊は10日間で60回の出撃を重ね、40機の撃墜戦果をあげるが、隊員の消耗も少なくなかった。
 2月6日、カハンへ移動。陸軍落下傘部隊のパレンバン攻略戦の援護任務につく。敵戦闘機を、97式輸送機に搭乗した落下傘部隊に近づけることなく、作戦 は成功する。
 3月9日、蘭印軍が降伏。部隊はパレンバンへ移動する。加藤少佐は中佐に昇進し、部隊はビルマ戦線へ参加する。4月8日、安場大尉が戦死。弔い合戦とば かりに加藤中佐は夜間襲撃を敢行し、中国奥地の敵機を撃墜する。
 5月17日、部隊はアキャブに前進。しかし、あまりに敵地に近いため、英軍機の襲撃を度々受けるのだった。加藤中佐は英軍の爆撃機を追撃しこれを撃墜す る。
 5月19日、アキャブ基地からトングーへ引き揚げることとなる。しかし、出撃した射水准尉が途中で不時着する。その身を案じて加藤中佐は引き揚げをため らうのだった。5月22日敵の爆撃を受ける。急遽追撃した加藤中佐は敵ブレニム爆撃機を撃墜するも、敵弾を受け、反転して海中に自爆するのだった。
 
 (2005/07/15)

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