戦争映画の一方的評論
 
「長崎の歌は忘れじ 評価★★★ 戦争の壁を越えたメロディ 
1952 大映 監督:田坂具隆
出演:アーリントン・ロールマン、京マチ子、久我美子ほか  
131分 モノクロ

 戦争のもの悲しさと戦後をたくましく生きようとする一筋の光明をドラマティックに描いた佳作。舞台が長崎だけに被爆の生々しさと、キリスト教のメロディ の奏でる異国情緒も、新世代への幕開けを予感させる。役者の演技やカメラワーク技術に乏しさはあるものの、これだけの純粋ストーリーを作ることが出来た、 当時の日本映画界の力を感じる。 

 ハワイの日本軍捕虜収容所でピアノを弾いていた音楽家グレイ(ロールマン)は、絶命寸前の日本兵から未完の曲の完成を託される。しばらくして、グレイは 父の使いで陶器のバイヤーとして長崎に訪れるが、主目的は日本兵の故郷での遺族捜しと、曲の完成のため日本を知ることだった。
 しかし、日本兵は偽名を使っていたらしく遺族を探し出すことはできなかった。グレイは、ホテルの従業員桃子(久我)と知り合いになり、桃子の叔父である 陶芸家の家に行く。そこで、被爆のために盲目となった桃子の姉綾子(京)の弾く琴の音色に興味を覚える。戦地に行ったまま戻らぬ夫が綾子のために作曲した メロディをグレイは聴きたいと言うが、敵国だった人間に対し綾子は拒否する。
 帰国が近づいたある日、桃子はグレイの弾くピアノ(日本兵がグレイに託した曲「心の真珠」)を聞いて、日本兵が綾子の夫であることを確信する。しかし、 桃子は綾子に夫道信が死んだことを伝えることが出来なかった。
 夫、道信の帰国を希望にして明るく努める綾子だったが、ある日教会の修道女が綾子に道信の死を伝えてしまう。生きる希望を失った綾子は、雪の中夫との想 い出の地である教会に赴く。そこで、聞こえてきたのが夫の作曲した未完のメロディだった。道信が弾いていると錯覚し、音のする方へ引き寄せられていく綾 子。だが、実際に弾いているのは、曲が完成し再来日したグレイだった。綾子を捜して桃子も教会へやってくる。グレイのもとに歩み寄っていく綾子の姿を見 て、桃子は哀れみのあまり涙する。しかし、桃子の泣き声に綾子は笑いながら答えるのだった。「道信さんはこの曲の中に生きている」

 古い日本映画というのは、実に美しい展開と結末を迎える。ハッピーエンドを好む日本人にとってはこれほど感動を与えるものはない。アメリカ映画のような 押しつけがましい強者のハッピーエンドとも異なり、韓国映画のような激情的な悲壮感でもない。ささやかな悲哀とささやかな幸せで構成されるのだ。こうし た、映画は日本人にしか理解できないかもしれないが、外国人に目にはどのように映るのか知りたいものである。

(2004/09/03)

興奮度★★
沈痛度★★★★
爽快度★★
感涙度★★★