戦争映画の一方的評論
 
「巣鴨の母 評価★★★★ 巣鴨プリズンに収容された無実戦犯の母
1952 大映 監督:安達伸生  
出演:三益愛子根上純
、 船越英二、松島トモ子ほか 
94分 モノクロ

 今、巣鴨の母というと手相占い師が有名だが、これは戦後戦争犯罪人拘置所「巣鴨プリズン」に息子を取られた母親の悲哀の物語である。巣鴨プリズンもので 言えば、「私は貝になりたい(1959)」が有名だが、この巣鴨の母も異なった視点として涙なくして見る事ができない傑作。映画のストーリー自体はそこそ こだが、この時代にこのような骨太の映画があったことに感激至極である。
 この作品は1952年製作で、この年の4月28日に「日 本国との平和条約」が発効し、同年8月5日には「日 華平和条約」が発効した、戦後日本の旅立ちのメモリアル年でもある。しかし、本作品は偏った戦勝国裁判による無実の戦犯がいることや、戦後の日本 人の多くが戦犯だけに戦争責任を押しつけ、自らの責任に無関心であることを痛烈に風刺している。本編中にも平和条約11条の条項がおかしいこと、インドの パール判事が裁判が公平でない事を指摘した事などが盛り込まれている。
 監督の安達伸生は「透明人間現る」など怪談ものや時代劇ものを多く手がけており、こうした映画の監督は極めて異質である。当時の日本の世論に背中を押さ れた作品だといえるのではないだろうか。そう言う意味で、戦後日本人が戦争の事や戦争犯罪のことを忘れているという批判を受けるが、それと同時に理不尽な 戦後処理に苦しめられた日本人がいたことも忘れているのではないだろうか。ちなみに、最後の戦犯が釈放されるのは本作品から5年後の事である。
 この映画は戦争に引き裂かれた母子の情愛がメインたる内容だが、感動する場面はそこだけではない。仲間を思って奔走する戦友の友情、見ず知らずの老婆を 助け合う下町の心温かい男女たち、そして南方に戦犯抑留される父親を待ついたいけな子供。いささか作られすぎた感もあるが、素直に感涙せざるを得ないので ある。子役松島トモコには泣かされる。さすが名子役である。
 映像的には多分、巣鴨プリズン本物を使っての撮影のような気がする。セットにしては結構大がかりなのだ。また、冒頭の南方からの引き揚げ船風景は一部実 写が入っている様子。このほか、市電や下町の様子などが当時の面影を良く表している。

(参考)平和条約
第11条【戦争犯罪】
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課 した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及 び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の 決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
*つまり、日本が独立したあとであっても、戦勝国によって戦犯確定された戦犯処遇の権限はあくまで 戦勝国に残され、外国に抑留されている強制労働者等が無実であっても釈放されない事を意味する。

戦犯釈放を巡る動き (Wikipedia)

興奮度★★
沈痛度★★★★★
爽快度★★★
感涙度★★★★★

(以下あらすじ ネタバレ注意)
 
 南方からの復員船が港に入ってくる。老いた母親小森あきは4人の息子のうちたった一人生き残った末っ子の末男の帰還を待ちわびていた。末男との再会を喜 ぶあきの傍らで、帰ってこなかった父親を待つ松井という母娘がいた。松井の戦友だった有吉は松井の妻に、松井が帰還直前に戦犯容疑で抑留されたことを知ら せる。
 小森親子は、埼玉の川口のアパートでようやく親子水入らずの生活を始めようとするが、そこに占領軍のMPがやってきて末男を戦犯として逮捕する。戦友の 有吉の働きもむなしく、捕虜収容所で盗人を殴った罪で、末男は強制労働30年の刑を受けてしまう。
 母親のあきは息子が拘置されている間、靴磨きをして日銭を稼ぐ。かつての末男の恋人はアメリカ兵に連れ立って歩く始末である。末男に会いに巣鴨プリズン にも出かけるが、面会予約がないと逢わせてもくれない。さらに、戦犯家族への世間の目は冷たく、アパートを出て行けと催促されるようになる。そんな中、唯 一の救いは靴磨きの少年の優しさと、戦友有吉の訪問であった。
 有吉は無実の罪で戦犯にされている事実に憤慨し、少しでも手助けになろうと給料の安い巣鴨プリズンの看守に就職する。そのつてで、ようやくあきは末男と の面会を許される。しかし、次第に苦労がたたってあきは病気がちになる。面会のための電車賃にも事欠き、ついに歩いて巣鴨に向かう途中倒れてしまう。
 倒れて看病された先は、あの松井親子のもとであった。近所の人々も下町の江戸っ子気っ風で戦犯を持つ二組の家族を応援するのだった。
 昭和27年4月28日に平和条約が発効され、日本は独立する。しかし、釈放されると思っていたが釈放はされなかった。条約の第11条で日本が勝手に釈放 はできないこととされていたのだ。
 さらに8月5日は中国との平和条約が発効し、中国での戦犯は釈放される。しかし、南方での戦犯である末男の釈放は見込みがつかなかった。あきはがっくり とし、日増しに衰弱がひどくなる。見るに見かねた有吉と看守仲間、そして戦犯仲間は母親にカンパを集めて渡す。ところが、帰りの車中でそのカンパすらすら れてしまう。
 一気に気力を失ったあきが危篤状態に陥る。末男に死に目に合わせてやろうと、有吉は所長に外出許可を求めるが、規則上出来ないと言われる。しかし、熱意 にほだされた所長の権限で許可され、有吉は末男をジープに乗せてあきのもとに向かう。
 なんとか間に合った末男は、あきに「釈放された」と嘘をつく。あきは涙を流して喜び、周囲の人々に感謝の言葉を述べて息を引き取る。末男は「母についた たった一度の嘘になりました」と涙する。それを見た下町の人々は日本中があなたたちを忘れはしないと励ます。そして末男は再び巣鴨プリズンへ戻っていくの だった。
 
(2005/09/14)

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