戦争映画の一方的評論
 
「あゝ陸軍隼戦闘隊 評価★★★ 加藤建夫戦隊長の生涯記
1969 大映 監督:村山三男
出演:
佐藤充、藤村志保、本郷功次郎、宇津井健ほか 
100分 カラー

 陸軍のエースパイロット加藤建夫中佐を描いた戦記物語。加藤中佐は中国戦線においては95式戦、97式戦で、そしてマレー戦線で は「隼」 として有名な一式戦を駆使して、個人撃墜18機をマークしたことで知られる。それ以上に、飛行第64戦隊長として、マレー戦線で260機の撃墜を果たした ことは、リーダーとしての優れた資質を示している。この加藤中佐が明野・所沢飛行学校で操縦教官となった頃から、昭和17年アキャブ上空で戦死を遂げるま での生涯を、機上での卓越した技量と、いったん地上に降りた後の彼の人間味あふれる個性とを交えて描いている。
 陸軍隼戦闘機(一式戦)は、固定脚の97式戦闘機に代わる軽戦闘機として開発され、昭和16年頃より第一線配備された。加藤部隊(第64戦隊)は、最も 早く全機が隼に換装された隊としても知られる。隼は旋回性では97式戦にも劣り、速度も遅い上、武装も貧弱であったが、格闘能力や防御力においては評価さ れた機体である。しかし、加藤中佐が戦死した昭和17年以降は次第に、対英米機に対して見劣りしていった。しかし、軍歌「加藤隼戦闘隊」まで作られるほど 隼が評価されたのは、やはり加藤中佐の指揮能力にあったと言える。
 空戦映像は、ミニチュア特撮であり、かなり稚拙であることは否めないが、まあ製作年代を考えれば仕方のないところ。ただ、地上待機の機などは97式戦、 一式戦など結構正確に作り上げられている。また、昭和初期からの軍装についても、きちんと時代考証がなされており、チープな作りではないのが良い。
 加藤中佐を演じるのは、佐藤充。この時代の戦争物にはお馴染みだが、私個人的には嫌いな役者の一人である。反抗的・反体制的なイメージがあって嫌いなの だが、この加藤中佐役に限って言えば、まあいい感じにはまっていた。女房役の藤村志保は、演技が臭くて今ひとつかな。役者を代えてリメイクしたらもっとい い映画になるかもしれない。 

興奮度★★★
沈痛度★★★
爽快度★★★
感涙度★★

(以下 あらすじ ネタバレ一応注意)

  昭和4年春。歩兵第25連隊の旗手を務める木原少尉は、飛行科への転科を申し出ていた。まだ、飛行機の実戦能力が認められていない時代であったが、飛行へ の強い熱意により認められた。
 所沢陸軍飛行学校に入校した木原少尉は、そこで本部の鬼瓦を練習機の車輪で吹っ飛ばして怒られている加藤中尉に出会う。彼こそが、後の加藤隼戦闘隊とし て名を馳せる加藤建夫であり、飛行学校の教官でもあった。
 学校長(少将)は、加藤中尉の勇猛さを認めており、少将の紹介で見合いを進め、妻をめとる。
 木原少尉は、加藤中尉の指導によりめきめき腕を上達させるが、ある宴席で加藤中尉の一番弟子だという男を紹介される。それは、中国軍から派遣されていた 趙中尉で、二人は固い友情で結ばれていた。
 昭和12年7月7日。日支事変が勃発。加藤大尉(昇任)らは中国戦線へ出撃する。97式戦を繰って、中国空軍を次々に撃破していくが、ある日、木原中尉 (昇任)が機首に虎の絵を描いたI-16戦闘機に撃墜されてしまう。それがあの趙少佐(元中尉)だったのだ。加藤大尉は、心を鬼にして、趙少佐のI-16 戦闘機を撃墜するのだった。
 内地に戻った昭和13年晩夏。加藤大尉は、戦死した部下の遺族を回り続ける。そこに、加藤大尉の妻と子が現れる。非常識だとたしなめる加藤大尉だった が、実は部下の安田少尉(本郷)が手を回していたのだった。そんな安田少尉に、加藤大尉は見合いをセットする。
 昭和15年秋。加藤少佐(昇任)は、新型の一式戦闘機(隼)を装備した第64戦隊長に着任する。隼は加藤本人が実用化に向けて意見具申した機なのだ。
 昭和16年12月8日。対米宣戦される。第64戦隊(加藤隼戦闘隊)はシンガポール、マレー方面の進撃戦に参加する。加藤大尉らの隼は、英豪軍の戦闘機 を次々に撃破していくのだった。
 陸軍落下傘部隊の指揮官三宅少佐は、パレンバン降下作戦を予定していたが、陸軍司令部はなかなか煮え切らない。加藤少佐は、やるなら今だと山下中将に直 訴する。その甲斐あってパレンバン降下は成功を修める。
 しかし、次第に英米軍の戦闘機の性能が向上し、隼の被害も甚大になる。あの安田中隊長(中尉(昇任))も戦死する。
 加藤中佐(昇任)も40歳を越え、部下からは前線から退けと進言されるが、昭和17年5月22日、爆撃に来たブレアム爆撃機の追撃中に被弾し、海上に突 入戦死するのだった。

(2005/05/06)

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