戦争映画の一方的評論
 
「パットン大戦車軍団 評価★★★☆ 猛将パットンの詩人的生涯 
PATTON
1970 アメリカ 監督:フランクリン・J・シャフナー
出演:ジョージ・スコット、カール・マルデンほか  
172分 カラー

 米軍有数の名将であり、悪名高き猛将でもあるパットン将軍の半生を描いた傑作。個人の人生を描いたヒューマンヒストリー的でもあり、戦記的な映画でもあ る。そのため、若干、戦争映画としては物足りなく感じる部分もあるが、パットンという歴代希な個性豊かな人物像だけに十分引き込まれる。
 パットン将軍は、過激で戦闘好きな機甲戦略家という印象が強いが、決してそう言う一面だけではないと言うことを示している。読み書き能力に遅れがあり、 陸軍士官学校をギリギリの成績で卒業したパットンは決してエリートではなかったが、独特の勘と先見の明で実力を発揮してくる。その過程で、戦場において は、部下が恐怖で自己を見失わぬよう、意図的に威厳と威圧のある指揮官ぶりを表現していたともされる。そうした、一見過激で激情的な面もありながら、パッ トンはオリンピックに近代7種競技に出場するほどの運動神経を持ち、かつ歴史的事象に長けた詩人でもあった。
 映画中では、英軍のモントゴメリーに対抗心を燃やし、部下に叱咤激励する激情的な面と、死んだ部下に対する感傷的な面とがうまく織りなされ、波乱の人生 を象徴的に描いている。特に、士官学校の後輩であり友人である、パットンとは正反対の冷静沈着な性格であるブラッドリー将軍との関係、その他部下との人間 的な交流シーンが印象的である。
 若干脚色している箇所もあるようだが、ブラッドリー本人が監修し、史実にはそれ相応に忠実と言える。ただし、北アフリカ上陸のトーチ作戦からドイツ降伏 までを描いているため、戦記物としては十分な描写はできていない。
  ロケはスペインで行われ、航空機等はスペイン軍が所有する第二次大戦兵器が用いられてい る。その他戦車類もスペイン軍の協力を得ており、ドイツ軍戦車はM48パットン戦車が化け、米軍はM41ウォーカーブルドック戦車とM48パットン戦車に M52自走溜弾砲?が登場する。また、パットンやブラッドリーが着用する軍服の左肩のパッチが、役職ごとに丁寧に付け替えられているのも好印象(例えば、 パットンは第1機甲師団→第2軍団→第7軍→第3軍と変遷。ブラッドリーは連合軍司令部→第2軍団→第1軍→第12軍集団)。

 (以下ネタバレ注意)
 1943年2月、アフリカ戦線。初陣のアメリカ第2軍団第1機甲師団はチュニジアのファイド峠で、ドイツのロンメル将軍指揮の第10機甲師団により大打 撃を受ける。解任された軍団司令官としてパットン少将(スコット)が着任する。軍団のたて直しのため厳しい規律をたたき込み、旧友のブラッドリー少将(マ ルデン)を副官に据える。戦闘に生き甲斐を感じるパットンはドイツ軍の名将ロンメルとの対決を夢見ており、チェニジアのエル・ゲタラの戦闘で勝利する。
 しかし、戦闘にはやるパットンに対して英軍のモントゴメリーは消極派であり、ことごとく対立する。加えて、連合軍総司令官のアイゼンハウアーは英国への 配慮から、モントゴメリーに華を持たせる事が多く、パットンは不満を感じる。
 1943年7月、連合軍はアフリカに続いてシチリア攻略戦に着手する。ここでも主力はモントゴメリーでパットン中将率いる第7軍(第2軍団司令官はブ ラッド リー)は側面からの英軍支援だった。勝ち気にはやるパットンは司令部の命令を無視してパレルモを占領、最終目的地メッシーナにも英軍よりも早く着いた。し かし、無謀な行動にブラッドリーでさえ困惑し、あげくのはてに病院に収容中のノイローゼ兵士を臆病者としてはたいたことから、司令官の任務をはずされ謹慎 の 身となってしまう。
 1944年6月、戦史に名高い「ノルマンディー上陸作戦」が始まる。モントゴメリーは第21軍集団の司令官、ブラッドリーは米第1軍の司令官として参 加。パットンは、度重なる失言も重なって、陽動作戦のための架空軍の司令官という地位に甘んじていた。
 パットンが再び戦場に戻る日がやってきた。1944年7月、膠着状態にあるフランス戦線にパットン中将は第3軍司令官として着任する。一気に南下してド イツ軍を包囲する「コブラ作戦」である。この時すでにブラッドリー中将は第12軍集団司令官としてパットンの上官になっていた。パットンは機甲師団を率い て快進撃。再度、ブ ラッドリーに進軍停止を命じられるほどだった。12月になり、ベルギーの米軍がドイツ軍のアルンデンヌ攻勢により孤立。パットンの第3軍は急遽救援に駆け つけることになる。第3軍団麾下の第4機甲師団、第26,80歩兵師団が160km以上の行程を数日間で駆け抜けて窮地を救った。
 ドイツ降伏後、戦う相手を求めるパットン大将はソ連相手に失言し、軍司令官の任を解かれる。そして、その年の12月自動車事故で命を失うのだった。

 パットンの性格を好きになれない人でも、軍という特殊な環境下においてはパットンがいかに優秀で頼れるかを知ることができるだろう。「上司には絶対した くないが、生きて早く帰還するためには最適の上司だ」という言葉がよくわかる。パットンがもともとそういう性格だったのか、軍という特殊な環境が彼をその ように作り上げていったのか。いずれにしても、戦うために生まれてきた男、パットンは歴史上に永遠に名を残すであろう。

(2004/11/14)

興奮度★★★★
沈痛度★★★
爽快度★★★★
感涙度★

 
戦争クラシック・シリーズ パットン大戦車軍団 特別編【楽天野球団】戦争クラシック・シリーズ パットン大戦車軍団 特別編