戦争映画の一方的評論
 
「ジェノサイド ナチスの虐殺-ホロコーストの真実-」 評価★★ ナチスのユダヤ人虐殺ドキュメント 
GENOCIDE
1981 アメリカ 監督:アーノルド・シュワルツマン
ナレーション:オーソン・ウエルズ、
エリザベス・テーラー  
83分 カラー

 
 1981年アカデミー賞「長編ドキュメンタリー映画賞」受賞作品。ドイツナチスが行ったホロコースト(ユダヤ人絶滅計画)に基づいたユダヤ人虐殺(ジェ ノサイド)を扱ったドキュメンタリー。シュワルツマン監督独特の史料や実写の切り貼り画面を多用した、前衛芸術的な映像感が印象的な作品だ。この手法がい いのか悪いかは賛否別れるところだが、全般にストーリーを追うにはいささか邪魔な感じがする。そもそも、ドキュメンタリーなので、ストーリーも何もないの だろうが、一応は歴史的な順を追って展開している。
 本作は第一次世界大戦前からのユダヤ人排斥を取り上げ、第二次世界大戦終結までのユダヤ人虐殺の過程を描いている。しかし、収容所や虐殺映像を多用し、 グロいシーンも多いのだが、肝心のユダヤ人の悲壮感というものがあまり表面に出ていない。単に、哀れなユダヤ人の映像、といったイメージが先行し、それに 加担したドイツ人を始め、ポーランド、ロシア、イギリス、アメリカ人の残忍な姿が見えにくい。先に「ロングウェイホーム(1997)」という 作品を見ていたので、余計に歴史的背景の描き方に甘さを感じた。
 加えて、制作はアメリカだが、監督はイギリス人のためか、ドイツ人によるユダヤ人虐殺に大きな影響を与えたイギリスの罪にはほとんど触れていない。確か に、第一次大戦から欧米諸国でユダヤ人が嫌われていたとはいえ、イギリスがパレスチナからユダヤ人を排斥した罪は大きいはずだ。
 また、600万人のユダヤ人が虐殺された、この事件の規模の大きさは凄まじいものがある。映像中に出てくる、骨と皮になった死体の累々とした山は驚愕 だ。とかく比較されがちな日本軍の南京大虐殺とは比べるべくもないレベルである。この規模にもなると、死体のみならず、動画映像、ユダヤ人から押収した眼 鏡や衣服、貴金属の類まで、実に多くの「事実」が残されていることがわかる。これに比して、南京事件の遺留品と証拠の少ないことはどう捉えるべきなの か・・・。そして、近年中国や韓国は、ドイツは戦後反省しているが、日本は反省していないという事を良く言うが、果たしてドイツはユダヤ人に対して謝罪や 反省が本当になされているのか。本作にしても、「ロングウェイホーム」にしても、ドイツがユダヤ人に賠償、謝罪した様子は一切描かれていない。

興奮度★★
沈痛度★★★★★
爽快度★
感涙度★


(以下あらすじ ネタバレ一応注意)

 あらすじと言うほどのものはないのだが、一応ストーリーの流れを。
 第一次世界大戦前、オーストリア、ポーランド、ドイツなど、どの時代でもユダヤ人は警戒され、嫌われていた。それは、キリスト教の聖人クリュソストモス が改宗を拒んだユダヤ人を「恥ずべき人種」と呼んだこと、神学者ルターがユダヤ教礼拝所を壊せと言ったことにもあるように、宗教的な排他性にもあろうが、 ユダヤ人が、無学なものにとっては「博識」に見え、貧乏人にとっては「金持ち」に見え、金持ちには「下賤」に見えるといった、とにかく「異端」対象であっ たことを示す。
 第一次大戦時には、ユダヤ人はドイツ軍に混じって共に戦ったにもかかわらず、第一次大戦後の不況の嵐が起こると、ユダヤ人は不満のはけ口の対象とされ た。その先鋒が、ナチ党を率いたヒトラーであった。
 ヒトラーは、アーリア人至上主義のもと、ユダヤ人排斥を始める。知性の象徴とされるユダヤ人は、ゲッペルスの「知性は必要ない」、ゲーリングの「文化と 聞いたら銃を構える」といった過激なコメントのもと、急激に虐待されていく。逃げ場を求めたユダヤ人は、キューバ、アメリカ、南米に移民を求めるが、どの 国も受け入れを拒否した。
 ドイツがポーランドに侵攻し、各地でユダヤ人の虐殺、レイプが起こる。ミエレツ教会の虐殺もあり、ポーランドではユダヤ人を強制隔離するエリア「ゲッ トー」が設けられる。ゲットーに送られたユダヤ人はさらに列車に乗せられ、オーストリア、ロシアの強制収容所に送られていくのだった。
 ヴァンゼー会議で、ドイツのアイヒマンら科学者は、ユダヤ人の根絶方法を話し合い、ついに悪名高いアウシュビッツ収容所が設けられる。そこでは、働くこ との出来ない婦女子を中心に「ガス室」で次々と虐殺が行われていくのであった。
 このことを、欧米諸国は知らなかったわけではない。1942年7月のニューヨークタイムズでは「100万人のユダヤ人が虐殺されている」ことを報じる が、アメリカ政府や国民は全く問題にしなかった。また、ローマ法王もユダヤ人関与しない方針を打ち出していた。ユダヤ人救出は優先度の低い問題として、黙 殺されていたのだ。
 1945年1月、ソ連軍がアウシュビッツに侵攻、5月マウトハイゼン解放、そしてパリ解放と連合軍がドイツ軍を破り、ユダヤ人は解放された。その間、 ヨーロッパのユダヤ人の1/3に当たる600万人が虐殺された。
 しかし、戦後の戦犯裁判でアイヒマンは無罪を主張するのであった。

(2005/04/19)

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