戦争映画の一方的評論
 
「ムルデカ17805 評価★★★★☆ インドネシア独立に散った旧日本兵 
MERDEKA17805
  2001 東宝 監督:藤由起夫
出演:山田純太、保坂尚輝、六平直政、水橋研二、津川雅彦ほか  
122分 カラー

 公開時に映画館で見て感涙した。日本でもこんな映画が作れるのか。その後、この映画は両極端の賛否両論が噴出した。賛成派は、もっと多くのアジアの若者 に見せるべきだとし、左巻きからは日本の侵略行為を正当化する大嘘映画だと非難された。少なくとも、この映画に描かれている、日本敗戦後にインドネシア独 立戦争に参加した2,000名もの日本兵がいたことや、インドネシア独立時のスカルノ、ハッタの独立宣言文が日本に感謝の意を表したものであることは事実 である。日本の自 虐史観に基づく教育と、インドネシアを含むアジア諸国の偏向教育によって、こうした歴史の記憶が忘れ去られようとしているこの時に、多少の誇張とフィク ションが織り交ぜられてはいるとはいえ、遠くの地で散った日本人の真実に触れる機会を得たことは素直に評価すべきであろう。インドネシア独立のために散華 した日本兵はガリバタ英雄墓地に祀られているといい、インドネシアの若者はともかく、年配の人々は日本への感謝の意を持ち続けていると言うことを知っただ けでも嬉しい。もちろん、現在の日本への謝意でなくて死んだ日本兵への謝意で十分なのだが。
 本作は、こうしたインドネシア独立戦争に参加した日本人を描いたものだが、そこに至るまでの経緯についてはかなり史実に沿って制作されている。主人公島 崎中尉は、単身オランダ軍に降伏勧告に行き、インドネシア人訓練機関「青年道場」を創設するのだが、これには柳川中尉というモデルが実在するという。柳川 中尉は戦後日本に生還しているので、その後の話はフィクションとなるが、監修者によれば色々な人のエピソードの結集という形で描いているのだそうだ。
 戦闘シーンは日本映画にしては良くできた方の部類。というのも、日本兵やオランダ兵に化けたエキストラの多くがインドネシア国軍兵なのだ。さすがに訓練 されているだけあって動きが良い。パンフに載っていたが、「なぜここまで協力するのか」と愚痴をこぼす兵士に隊長が「独立に協力して死んだ日本人へのせめ てもの恩返しだ」と言ったそうだが、実に感動的だ。登場する兵器はさすがに乏しいが、オランダ軍側の装甲車もしくは軽戦車らしきものが登場する。何を模し たつもりかちょっと不明。チープさは否めない。
 ストーリーそのものに言及すれば、いささか日本兵マンセーの嫌いはあり、やりすぎかなという位だ。島崎中尉にしろ熱血漢なのはわかるが、日本人ならもう 少し冷静にとも思ってしまう。加えて、後半は日本兵が次々と散華していくのだが、太陽にほえろの殉職シーンばりの力の入れようで、これもやりすぎ。もっと ストレートな表現で十分感動は得られると思うがな。こうした、部分的な派手さがあるためにこの映画全体のフィクション性が強調されてしまっているのが残 念。どこからどこまでが史実なのかをもっと明確にできて、かつ、ノンフィクション的逸話の挿入があればより引き締まった映画になっただろうと思う。そうい うわけで、心情的には5つ星評価だが、半星減。 

(以下ネタバレ注意)
 1942年オランダ領ジャワ。日本軍は蘭印からオランダ軍を駆逐するために進軍を続けていた。オランダ軍の拠点バンドン要塞の攻略に際し、日本軍は無用 の流血を避けるため、オランダ軍司令官のもとに軍使を派遣することとした。この大役を担ったのが参謀部の島崎中尉(山田)であり、ジャワ進駐の際にジャワ の老婆から丁重な出迎えを受けている。ジャワには「東から黄色人が来て白人から解放してくれる」という伝説があったのだ。
 島崎中尉は通訳一人を引き連れ、命を賭して単身敵司令部に潜入し、日本刀をかざしてオランダ軍司令官テレポーテン中将と対面する。その結果、1942年 3月9日ジャワのオランダ軍は無条件降伏。無血の開城であった。
 350年にわたる白人、オランダ人の圧政から解放されたジャワは日本の統治下にはいる。大本営の強圧的支配を求める声に対し、現地の第16軍司令官今村 中将は、現地の状況に対応した懐柔策を進める。その一部として、参謀部別班の島崎中尉は現地人青年の訓練機関として「青年道場」を設立。インドネシア人自 身の手による白人からの独立を目指す。1943年1月8日に開校式が行われ、ジャワの王族を含む若者が訓練に参加した。教官は島崎中尉のほか、歴史担当の 宮田中尉(保坂)、塚本軍曹、栗山上等兵、通訳の山名通訳(六平)、川村通訳らである。
 訓練は厳しく、馴染めなかったヌルハディが脱走する。連れ戻しに行った島崎中尉が言う。「日本は植民地化されそうになったが、自国民の力で跳ね返し た。」この言葉を聞き、ヌルハディは元に戻る。そして脱走の罰として直立姿勢を続けるが、ともに島崎中尉の姿もあった。「部下の罪は指揮官の罪である」。
 大本営の命令で、インドネシア国旗の掲揚が禁止されるなどの妨害もあったが、「サンパイマティ(死ぬまでやれ)」を合い言葉に訓練に励み、1943年 10月にはジャワ防衛義勇軍(PETA)が結成される。
 しかし、1945年8月。日本は敗戦。日本軍は連合軍の統治下におかれる。インドネシアのスカルノは白人支配を拒否するため、「独立なくして自由なし」 として独立(ムルデカ)を宣言。この独立宣言の署名日は17805と記され、日本への感謝を表し、日本の皇紀2605年8月17日を示しているのだ。案の 定、9月には 英軍の支援を受けたオランダ軍が再びジャワに上陸する。PETAを中心としてオランダ軍と戦うが、武器が足りない。捕虜となった日本兵の中にはオランダ軍 の手先としてPETAと戦わされる部隊もあった。
 ヌルハディらは島崎中尉に武器をくれるように頼むが、島崎中尉は断る。しかし、PETAが劣勢に立たされ、多くの死者が出るとついに島崎中尉はPETA に武器を渡す。しかし、この罪により島崎中尉はオランダ軍に逮捕され、厳しい拷問を受け瀕死に。その島崎をPETAが救出に来る。この強引な救出作戦で多 くのPETA兵士が死ぬのを見て、島崎中尉はインドネシア独立のためにこの地に骨を埋める覚悟をするのだった。
 代わりにオランダ軍に捕まったのが宮田中尉だった。厳しい拷問の末、いわれのない戦犯の罪で銃殺される。宮田中尉の言葉「私が軍人であったことが罪なら ば、オランダ軍が350年間インドネシアでしてきたことは罪ではないのか」。そして、東北に残してきた顔も見たことのない幼子の映像が涙を誘う。
 PETAに参加した島崎中尉のもとに元の日本人部下が集まってくる。1949年首都ジョグジャカルタの奪還作戦が始まる。「サンパイマティ」のかけ声 とともにオランダ軍に突入していく。まず、川村通訳が戦死。続けて山名通訳が現地の女の子を助けようとして戦死。次々と日本兵が倒れていく。島崎中尉以外 の日本兵が全て戦死してついにジャカルタを占拠。いよいよ最後の大詰めの時が来る。
 が、その夜敵の狙撃兵に島崎中尉が狙撃され死亡してしまう。だが、その意志をついてPETAの兵士は独立(ムルデカ)を勝ち取るのであった。

 ちなみに、PETAに参加した日本兵は2,000名余りであり、そのうち半数がインドネシアで命を落としたという。その目的は様々であったろうが、少な くとも名もなき兵士らの鎮魂としてこの映画の果たした役割は大きい。

(2005/02/20)

興奮度★★★★
沈痛度★★★★
爽快度★★★★
感涙度★★★★★

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