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かぽんの戦争映画
一方的評論
 
「カストロ CASTRO  評価★★ フィデル・カストロのとキューバのドキュメンタリー
Castro
2003
  ドイツ 監督:フィリップ・セルカーク
出演者:ドキュメンタリー
72分 モノクロ・カラー 

 
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  キューバの最高権力者フィデル・カストロを記録映像と関係者の証言によって描いた、テレビ版ドキュメンタリー。カストロを題材にしたドキュメンタリー は「チェ・ ゲバラ&カストロ(2002 米)」「コ マンダンテ(2003米西)」「カストロ人生と革命を語る(2003仏)」「フィ デル・カストロ× キューバ革命(2005米)」など多くあるが、それらの中ではかなり出来の悪い部類に入る。キューバがスペインにうち勝って独立を果たしたところ から、現在に至るまで幅広く描いてはいるのだが、カストロの波瀾万丈の人生を語るには72分は余りに短い。キューバ独立までの過程は凄い勢いで年代を経て ゆき、正直言って内容についていくのは大変。後半以降はキューバの経済体制とカストロの迷走ぶりをメインに捉えている感はあるが、描かれる逸話や証言者の 発言がバラバラで、各個のつながりや関連づけがいい加減。話しがあっちこっちに飛び、総体的になんとなくイメージがつかめてくるが、単品のドキュメンタ リー作品としてはまとまりがなさすぎる。

 また、制作がドイツというのも何か変。内容がキューバ寄りでもアメリカ寄りでもないのは公平性という点で良いのだが、結局何を伝えたいのかというのが良 くわからない。直接関係ないけど、ブームに乗って作ってみました的なノリが感じられる。それ故、ノンフィクションだというのに、内容に誤謬や勘違いが見ら れ、例えばキューバ革命成立年が1958年1月になっていたり、登場する数字類への信憑性が軽んじられている感じがする。
 ただ、登場するエピソードや証言などは他のドキュメンタリーにはないものも散見でき、バレラ計画やローマ教皇来訪、ラウルへの政権継承など、新鮮なもの もある。また、他作品に比べ、経済活動に対しての描写が多いのも面白いし、キューバ人への取材も親カストロ、反カストロともにあって興味深い。それ故、も う少し理解しやすい編集の仕方がなかったものか、残念だ。

 一つ一つのエピソードは短く、飛ばし気味なのだが残念だが、内容的には興味深いものも多いので、カストロやキューバについて知った上で視聴するには良い かも知れない。見るには大変だが、色々なまめ知識を得るには最適だ。ドキュメンタリー作品としての評価は高くないけれど、実はお勧めの作品だったりする (笑)。
 なお、内容が被ってくるドキュメンタリーとしては「フィ デル・カストロ× キューバ革命(2005米)」の方が出来は良いのだが、制作年を考えてみると、意外と本作を参考にして作っているのでは、と思わせる箇所が多いの だ。
 

       

興奮度★★★
沈痛度★★

爽快度★★
感涙度★

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(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)

(ドキュメンタリーの内容・・・数値等記述は映画のママ)
 キューバの子供たちは、学校にテレビを入れてくれたとしてカストロを賞賛する。一方、大人は名ばかりの独裁者と非難する。
 1898年アメリカがスペインに勝利し、キューバは4年後名目だけの独立を果たす。実質アメリカの奴隷であり、アメリカ製品と果物、牛肉、砂糖の交換が 主要貿易であった。
 バティスタが軍事クーデターで政権を取るが、大物不良マフィアと交流が深く、売春、賭博を許す代わりに金銭授受により莫大な資金を集めていた。
 フィデル・カストロは1926年に成金の父親のもとに生まれ、1945年ハバナ大学法学部に入学。学生運動のリーダーとして積極的に活動し、武器を携帯 していたことをカストロも認めている。この頃カストロは強い権力欲を持っていた。ミルタと結婚し長男フィデリートが誕生。しかし、後に政治的理由で離婚す る。
 カストロはモンカダ兵営襲撃に失敗し投獄。1954年に恩赦で釈放後、メキシコでチェ・ゲバラと出会う。1956年12月、カストロは80人(ママ)の 同志とキューバに上陸し、政府軍の反撃にあってシエラ・マエストロ山に辿り着いたのはわずか15人(ママ)だった。カストロは農民からの掠奪を禁じ、農民 からの支持を勝ち得ていく。この結果、ハバナへの攻勢に出、1958年1月1日(ママ)バティスタは亡命。1月7日にハバナへ凱旋する。
 カストロは議会を解散し、大半の役人を解雇、400ha以上の土地所有を没収、旧政府側の550人を処刑する。政権は握らないと語っていたカストロだ が、結局首相の座に座り、ゲバラも工業大臣、国立銀行総裁の座に座る。
 1960年、米国企業を没収。1961年米と断交。亡命キューバ人によるピッグス湾事件が起きる。
 1976年段階ではカナダとメキシコのみと交流がある状態で、民主政治と選挙を約束したカストロは嘘ばかりであった。
 1962年キューバ危機が勃発し、それを回避したソヴィエトと離れ、カストロは独自路線を打ち出す。共産主義者ではないと言いつつも、1965年に キューバ共産党を設立する。一方で、福祉や教育に力を入れ、農村に教師を派遣して識字率98%にまで高める。カストロは独自経済として高級葉巻のオーク ションを開催し、欧米の富裕層から資金を得るが、あくまで福祉に回すと言い切るのだった。だが、経済の生産性は一向に上がらず、ゲバラはボリビアで処刑さ れる。
 カストロは革命の輸出にも積極的で、チリ、アンゴラ左派の支援を行う。また、黒人等の人種差別撤廃にも積極的だったが、一方で芸術家、知識人、同性愛者 に対しては厳しく差別し、収容所に送り込む一面もあった。それでも、キューバ王立バレエ団のマリシア・アロンソらの熱意でバレエについては理解を示した。
 1980年、恩赦により犯罪者や同性愛者の国外退去を認め、13万人の難民が発生する。国連人権委員会はカストロ政権による刑務所の劣悪な処遇を糾弾す る。
 1986年、ソヴィエトのゴルバチョフはキューバへの支援を縮小。カストロはこれに反抗するも、1989年のソヴィエト解体でキューバ経済の縮小を余儀 なくされる。年間15億ドルの支援が途絶え、極度の経済危機となり、1990から1991年には売春がはびこることとなる。結局アメリカ資本主義経済の救 援を仰ぐこととなり、1999年耕作機械と食物の輸入解禁となる。カストロは資本主義を批判しながらも、現在のキューバでは投資家を歓迎し、主要産業は年 間18億ドルを落としていく観光業となっていく。カストロは歴史的建造物の修復を始めるが、国民の大半は貧困のままであった。だが、キューバ人はカストロ に苦しめられるも、ラテンの血で楽しんで生きている。ただし、元革命運動世代と若者の間には食い違いがあり、貧困に耐える革命世代に対し、若者世代は現実 的で亡命希望者も多いのが現実だ。
 キューバは米ドルとペソの通貨が共存し、ドルがない場合は配給カードに頼るしかない。ぎりぎりの生活をする民衆に、カストロは今なお戦争中であるという 言葉で、様々な制限や公民権制限の理由とし続けている。
 カストロは国中を視察して回り、農民に慕われてはいる。女性関係はずっと秘密であったが、セリアと大恋愛、現在の妻ダリアとの間には5人の子がいること が判明している。愛人との間の娘はマイアミに亡命し、政界についているのは最初の子フィデリートのみである。
 国内の反対勢力としては、キリスト教自由運動により社会主義の民主化を求める1万1000人の署名運動があったが、カストロは黙殺。また、アメリカ CIAも40年にわたり卑劣なテロでカストロ暗殺等を目論むがことごとく失敗。カストロはアメリカを強く非難する。アメリカにあるキューバ系米国人財団で はカストロ政権打倒を目指す「バレラ計画」を建てるが、カストロはこれに対してスパイ活動の弾圧強化する。
 カストロは2000年12月、ジョン・レノンをキューバの文化遺産にし、国境のない平和を支持し、テロ国家を強く非難する。だが、その裏で亡命者を密か に処刑し、その母親が死を知ったのは埋葬後という事態も発生している。
 ローマ教皇がキューバにやってくると、カストロはそれを歓迎し、宗教を認めないキューバでもそれ以降は宗教活動がしやすくなる。
 カストロは蓄財には無縁だが、二枚舌でリスクの高い施策を実施し、権力を維持し続けてきた。次期政権は弟で国防大臣のラウルが濃厚だ。軍隊と秘密警察を 率いるラウルは、農園や工場の管理を軍隊に移管するなど権力構造を強化している。各大臣級も若い世代を登用し始めているが、果たしてカストロのカリスマ性 をラウルが踏襲できるのだろうか。


(2009/01/23)