(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)
1937年、ポーランドの片田舎ウッチに住んでいた二十歳そこそこの娘ニーナは母親ファイゲルと
アメリカに移住した親類を訪ねてニューヨークに行く。当初は3ヶ月の滞在予定だったが、祖父の体調が悪化しそのままニューヨークに滞在し勉強をしていた。
兄のルデックはポーランド軍に入隊した。平和なポーランドとユダヤ人の時であった。
ニューヨーク滞在中にドイツ軍がオーストリアに侵攻。1938年5月、ニーナとファイゲルはポーランドに帰国する。徐々にきな臭さが漂ってくる。ついに
1939年9月、ドイツ軍はポーランド侵攻。12月になり占領されたウッチを逃れ、ニーナの家族はワルシャワに逃げることにする。それでもワルシャワはま
だ静かであり、ニーナは勉学に励むことが出来た。
だが、1940年の秋の終わりになり、ワルシャワにゲットーが設立され、ユダヤ人が狭い地域に強制収容される。ニーナの一家も狭い部屋に移住する。さら
に親類の男の子リシオの一家も越してくる。友人のセリンカの家族も越してくるが、セリンカの家は貧しく、一緒に大学を受験することは許されなかった。兄の
ルデックは軍隊をやめ、ゲットー内で宝石売りをして生計をたてていたが、その後自衛警察隊に入隊する。父もユダヤ人評議会の調理場で働き、チェルニアコフ
評議議長とのコネクションを作ろうとしていた。ゲットーではいかにコネクションを持つかが生活を左右していた。
1942年の夏頃、ゲットー内は飢えで死んだ死体が路上に転がっている状態ではあったが、劇場やコンサートも開催され、日常生活が送れていた。だが、
1942年7月22日からユダヤ人の東部移送が開始される。名目は東部での労働従事ということであったが、チェルニアコフ議長は自殺し、東部の強制収容所
虐殺の噂が流れ始める。兄のルデックはドイツ軍に協力したくないと自衛警察を辞める。ニーナは大学入学許可証をもらう。
セリンカの母が連行される。助けに行ったセリンカも父親もそのまま帰ってこなかった。このころ毎日、5000人ほどが東部地方に移送されていた。東部に
連行されないためには労働するしかなく、ニーナとファイゲルは縫製工場で働き始める。母親のファイデルは肝炎になるが、それでも必死に働くしかなかった。
「ガス室」「トレブリンカ」という言葉がゲットー内を飛び交うようになる。
縫製工場でもより分けが始まる。ニーナの家族はゲットーに残ることができたが、すでに36万人のユダヤ人が東部地方に移送されていた。
1943年1月、スターリングラードでドイツ軍が大敗し、ゲットーにヒムラーがやってくる。ヒムラーは全てのユダヤ人をガス室送りにしろと命じ、ニーナ
とファイゲルも列車に乗るように命じられる。ニーナは列から脱走するが、ドイツ兵に捕まって射殺されそうになる。だが、兄のルデックから列の最後に並ぶよ
う言われていたことを思い出し、列の最後尾にいると自衛警察に変装したルデックがニーナとファイゲルを救い出す。
大ゲットーでは武器を集め蜂起の準備が始まっていた。兄のルデックはゲットー外のポーランド人レジスタンスのマリアと連絡を取り脱出の機会をうかがって
いた。
1943年4月20日、大ゲットーで蜂起が起こる。シュルツにいたニーナらはカトリック教会の墓に隠れるが、リシオと両親はついに東部移送に応じて最後
の別れとなる。
まず、ニーナだけが救急馬車に隠れてゲットーを脱出。ポーランド人のポーラのアパートに匿われる。だが、パルチザンも同居するようになり出て行かざるを
得なくなる。マリアの手はずで引っ越ししている最中に出会ったペリカン氏の家に隠れることになる。ペリカン氏の母親と同郷だったことが幸いした。
5月になりゲットー炎上。間一髪のところで母親とルデックは脱出するが、父親は脱出できずにドイツ軍に捕まってしまう。兄はこのことを一生後悔してい
た。
ペリカン氏の家に兄ルデックも同居させてもらえる。だが、ロシア訛りの母親だけは他の家に匿われることに。ワルシャワではポーランドレジスタンスの蜂起
が始まる。ドイツ軍の取締も強化されるが、今やポーランド人も逃げる身となっていた。ニーナは兄と農村に避難する。
1月17日、ついにソ連軍がワルシャワに到達しドイツ兵がいなくなる。ニーナは母親を捜しにワルシャワに戻るが、母親は避難先でドイツ兵に殺害されてい
た。
ニーナは医学生となり、後にスウェーデンに移住。2004年に死去する。
(2008/08/27)