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戦争映画の一方的評論
 
六千人の命のビザ /日本のシンドラー 杉原千畝物語」 評価★★★★ ユダヤ人の命を救った日本人外 交官
2005 日本(よみうりテレビ、日本テレビ)テレビドラマ  監督:渡邊孝好
出演者:反町隆史、飯島直子、吹石一恵、勝村政信ほか
106分 カラー

 
 こんな日本人がいたのだということ知り、改めて杉原氏の行動と業績に敬意と感銘を受けた。恥ずかしながら、私の世代では杉原氏の業績はほとんど教育され てこなかったため、私自身はほとんど杉原氏についての知識はなかった。何せ外交官として人道的功績をあげた彼に対して、外務省が人道的外交官と認めたのは 2000年になってからだというのだから。しかし、それだけ戦後に冷遇され、苦難の道を歩んだ杉原氏がこのようなドラマとなり、我々の心に感動と勇気を刻 みつけてくれたのだから感謝せねばならないだろう。
 本作はテレビドラマとして製作されており、画質やカメラワーク、演出、背景にいたるまでややチープ感は否めない。また、主役の杉原千畝役が反町隆史、妻 役が飯島直子と安直な配役だったため、映画仕立てとしてはかなり減点要素ではある。飯島直子の純日本人的良妻賢母ぶりはなかなか堂に入ったものだが、あま りに美しすぎて逆に違和感があるし、反町の派手でベタな演技は苦笑ものだ。しかし、その役者の演技力不足という致命的欠点を補うだけのドキュメンタリー性 と感動がある。
 杉原千畝氏については杉原千畝記念館もあるし、杉原千畝生誕100周年記 念事業委員会のホームページに詳しいので割愛するが、かなり史実に忠 実に構成されているようだ。へたな脚色もなさそうだし、登場人物についても実名で登場している。リトアニア領事館からの退去を命じられ、汽車にのる寸前ま でビザを発給し続ける姿は感動ものだ。ドイツとの同盟が結ばれようという時に、外務省からの命令を無視してまでもビザを発給する決断は立派である。ただ、 これも1940年と大戦初期というまだ穏やかな空気の時代であったからだろう。もっと後の時代であったら杉原千畝と言えども手が出せなかったかもしれな い。
 千畝が出した2,193枚のビザで6,000人余りのユダヤ人がソビエト経由で日本に上陸したという。ドイツに殺されたユダヤ人の数からすれば、決して 多くはないが世界にこれだけの数のユダヤ人を救った人がいるだろうか。日本人として嬉しい限りである。ちなみに、杉原氏は1974年に「イスラエル建国の 恩人」として、1985年に「諸国民の中の正義の人」としてイスラエル政府から表彰されている。
 日本のテレビドラマなので兵器類は一切出てこないが、戦争の裏舞台として知っておいて損はない映画であった。

興奮度★★★
沈痛度★
★★★
爽快度★★★
感涙度★★★★★

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(以下 あらすじ ネタバレ注意)
 貧しい家に生まれた杉原千畝は大学を中退し、外務省に入省する。堪能なロシア語を生かし1934 年には日万ソ北満鉄道譲渡交渉でその手腕を発揮する。
 1939年になりソビエト外交官に命じられるが、その手腕を恐れたソビエトが千畝の入国を拒否。千畝は隣国フィンランドのヘルシンキに勤務する事にな る。さらにソビエトにより近いリトアニアへ偽名での入国を命じられるが、千畝は堂々とカウナスに領事館を設置する。
 カナウスで地元民と交流する千畝であったが、その中にドイツに侵攻されたポーランドから逃げてきたユダヤ人難民がいた。リトアニアはソビエトに併合され る事が決まり、千畝の日本領事館も退去を命じられる。
 1940年7月18日、領事館の前に日本通過ビザを求めるユダヤ人が押し寄せてくる。ドイツ、ソビエトのユダヤ人狩りから逃れるためには、日本を経由し てオランダ領キュラソーへ移民するしか生き残る手がないのだ。審査基準を満たさないユダヤ人の処遇に悩む千畝だったが、本国にビザの発給許可を求める。し かし、時の外務大臣松岡洋右は千畝に興味は示したものの発給許可は出さなかった。ドイツとの同盟をにらんで当然と言えば当然の行為でもあった。
 7月28日、ついに千畝は外務省の方針に背いて独自でビザの発給を始める。噂が広がりリトアニア中のユダヤ人が押し寄せてくる。ソビエトの退去命令であ る9月5日まで移動先のホテル、さらには乗車する汽車のホームでまで発給を続けるが、それでも発給しきることはできなかった。

 千畝はその後ルーマニア大使館等で勤務し、 捕虜となり、1946年に帰国する。しかし、1947年になって千畝は外務省から解雇される。ビザ発給の件が問われたようだ。外務省を追われた千畝は仕事 を転々とし、次男や義妹の死などを経る。
 1968年になり、突然イスラエル大使館からの電話がある。大使館に行くと、そこにはビザ発給交渉にあたったユダヤ人ニシェリがいた。手には千畝が発行 したビザを持って。二人は固く手を結ぶのだった。その後は幸せだったかと問われた千畝は、「今、幸せだったとわかった」と答える。

(2006/05/17)

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