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かぽんの戦争映画
一方的評論
 
「グアンタナモ、僕達が見た真実 評価★★★☆ テロリストとして拘束され たパキスタン系英国人
THE ROAD TO GUANTANAMO
2006  イギリス 監督:マ イケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス
出演者:ア ルファーン・ウスマン、ファルハド・ハールーンほ か
96分 カラー 

 
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 アメリカがキューバ東部に設置しているグアンタナモ海軍基地における、外国人テロ容疑者の不法収容・虐待を描いたドキュメンタリータッチの再現ドラマ。 結婚式のためにパキスタンを訪れたパキスタン系イギリス人の若者たちが、軽い気持ちでアフガニスタン入りしてテロリスト容疑で拘束されてしまうという衝 撃的な内容であり、生き残った関係者本人のインタビューと再現ドラマを織り交ぜた構成となっており、2006年ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。
 グアンタナモ基地は、約100年前にアメリカが租借権を得たものとして占有しており、アメリカ国内でもキューバでもないという特性により、アメリカの法 律も国際法も適用されないと言われている。この基地には、2001年の9.11テロ事件の後、アフガニスタンに侵攻した米軍が捕らえたテロリスト容疑者 が、敵性戦闘員として多数収容され、そのほとんどが正式な司法手続きを経ていないとされる。さらに、その待遇はジュネーブ条約を無視した非人道的なもので あ り、国連人権委員会による修正指摘もなされた。
 2004年頃から人権運動家によって、グアンタナモ基地の閉鎖運動が盛んになるが、決定的だったのは、不法に逮捕収容されていた3名のパキスタン系イギ リス人の解放であっ た。本作はこの3人が2001年に拘束されてから、2004年に解放されるまで約2年半にわたる監禁拘束、虐待の姿を映像化している。

 映画は重い題材を抱えており、いわばブッシュ政権批判とも言えるのだが、単にブッシュやアメリカ批判として見るのではなく、その背後にある様々な問題や 価値観の相違を一歩引いて見ることをお勧めする。真実性の証明に欠ける嫌いがあるので、政治的材料として理解すべき作品ではないからだ。
 まず、第一にグアンタナモ基地の存在自体はアメリカ政府及び軍の汚点の一つであり、アメリカ的独善民主主義手法の典型例だとも言える。世界の警察を自称 するアメリカ がその権威を維持するためには、正義と悪をこしらえる必要があるのであって、本来はテロリストであった悪が次第に混沌の中で、対イスラム 教徒になっていった過程を垣間見ることが出来る。宗教の相異が悪にはならないことは自明の理だが、それを知っており、一番とまどっているのは、現地のアメ リカ兵そのものである。無理矢理のこじつけで悪を作り上げなければならない、現場の苦しみと狂気が実に良く描かれている。こうした正義感の押しつけは、ア メリカにかかわら ず、日本においても警察の誤認逮捕という形で存在する。誤認逮捕をしなければならない過程、そして過ちを認めることの出来ない組織体制とい うものの根っこは同じなのだ。
 2007年6月22日、アメリカ政府がグアンタナモ基地廃止に向けて検討を始めたとの報道があった。アメリカがどのように尻を拭 くのか興味深いところでもある。
 次に、イギリス在住のパキスタン人の存在。本作に登場する5名のパキスタン人のうち4名はイギリス在住であり、いわば自由主義社会に育った甘ちゃんであ る。本作では被害者としてのみ描かれてはいるが、今なおイギリス国内でパキスタン人摘発が繰り返されているように、イギリス国内では治安を脅かす集団であ ることは否定できない。その彼らは、タリバンに荷担するする気もなく、不用心にもアフガニスタン入りをして拘束されてしまうのだが、彼らの軽率な行動は、 紛争地での外国人報道員やボランティア活動家の軽率な行動と同じように批判されるべきものである。しかし、大きく異なるのは彼らがイスラム教徒で あったという点で、タリバン本拠地に到達できたのも、アメリカ軍の厳しい拷問に耐えられたのも、やはりイスラム教徒であったからなのだ。本作の後半はア メリカ軍の拷問・尋問シーンがメインだが、イスラム教徒の打たれ強さと、末恐ろしいほどの強迫観念をヒシヒシと感じることができる。
 このことは、反面こうして反米テロリストが育成されていくのだということでもある。イギリス国民であった彼らは、最後には十分反米テロリストと 言ってもおかしくない風貌に変わっていく。2007年7月10日、パキスタン・イスラマバードのモスク(イスラム礼拝堂)「ラル・マスジッド」ろう城事件 が発生したが、ごく普通にモスクに出入りする彼らが、いつテロリストになってもおかしくないと感じさせる。彼らが自ら進んでテロリストになっていくのか、 アメリカがテロリストを育てているのか。テロ行為の根絶は重要なことであるが、いたちごっこでしかない現状は、いつか解決の道が見えてくるのだろうか。
 なお、アメリカの弁護をするわけではないが、当時イギリス国内でのテロ行為の主犯格がパキスタン系とされており、そのパキスタン系英国人がタリバン本拠 地にいたわけだから、実に「クロ」いとアメリカが思うのも致し方ないだろう。さらに言えば、テロリストは正規兵ではないので、その取り扱いや認定法は難し い。人混みに紛れて石を投げてくる群衆を前に、立ちはだかる警察官の気持ちを考えてみればわかりやすい。
 また、アメリカ軍のあの手この手の拷問手法はなかなか興味深い。肉体的にはさほど酷くはないが、精神的にダメージを与えようと言う手法は、不謹慎ながら 笑えるものが多い。ただし、敬虔なイスラム教徒相手にはなかなか通用しない。

 映画は当事者のパキスタン系イギリス人本人と、それを演じる役者が登場し、インタビューと再現ドラマが交差しながら進んでいく。事実に忠実に製作されて いるとのことであるが、テンポ良く時系列に進んでいくストーリーは結構見やすい。最後まで飽きずに見ることが出来た。衝撃的で悪玉アメリカの勧善懲悪型展 開も、次第にブチ倒せブッシュと叫びたくなるほど盛り上がるので、なかなか楽しめる(笑)。ただ、本人と役者はイスラム教徒らしく髭を生やしたりと剃った りとめまぐるしく変わるので、徐々に誰が誰だか分からなってくるのが難点か。

 登場する兵器類としてはC-130輸送機ぐらい。このほか、記録映像でT-55戦車などのロシア製兵器や米軍機がちらほら登場する。なお、アメリカ軍兵 士は第1騎兵師団のパッチを付けているものも見えるが、ほとんどがいい加減な軍装。行動もいい加減で、へなへな動く米兵にはちょっと違和感あり。ロケはア フガニスタンとイラン、パキスタンで行われたようで、山岳地帯の風景などはなかなかリアルだ。
 本作はタリバン側からの映像ということで、なかなかレアな視点である。逆にタリバンと戦闘状態にある北部同盟側からの潜入を描いたドキュメンタリー風映 画には「セプテンバー・テープ(2004米)」がある。両者を見比べてみるのも面白いだろう。

(公式サイト) http://www.guantanamo.jp/
http://news.livedoor.com/article/detail/2977669/

興奮度★★★
沈痛度★★★★

爽快度★★★★
感涙度★

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(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)

 2001年9月28日、パキスタン系英国人のアシブ・イクバルは両親がセットした縁談のため、父 親が待つパキスタンへ飛ぶ。パキスタン中部のファイサラバード空港からタクシーで村に行き、見合いによって結婚することとなる。早速イギリスにいる同じパ キスタン系英国人へ結婚式の招待メールを送り、10月5日、ローヘル、シャフィク、ムニールの3名がパキスタンにやってくる。3人はパキスタン南部のカラ チのモスクに泊まる。そこではタリバン支持のデモなどの風景があり、そこで1週間を過ごす。
 10月11日、アシフがカラチにやってくる。シャフィクはパキスタン在住の従兄弟ザヒドを連れてくる。折しも9.11事件の余波で米軍がアフガニスタン 侵攻の噂があった。5人は実際にアフガニスタンを見てみようと思い立ち、12日バスで国境まで行く。途中でバスが人をはね、運転手が逃亡。なんとかバスを 乗り継いで13日パキスタン西部のクエッタに着く。しかし、そこで下痢のシャフィクがバスに乗り遅れ、一人後を追いかけることに。4人は国境を越える。ま だ、戦闘の臭いは薄く、国境貿易も入出国も厳しくない。
 ようやく追いついたシャフィクと合流し、5人は車に乗り換えてカンダハルに向かう。ここはタリバンの本拠地であり、米軍の空爆が始まっていた。さらに5 人はカブールへ向かい、そこで2週間半を過ごす。アシフは病気にかかる。しかし、米軍の爆撃も市街地ははずされ、街でも商売が盛んであるなど、5人はここ にいること自体に飽きてくる。
 そこで、車を手配して帰国しようとするが、便乗した車はアフガニスタン北部のクンドゥズ付近に向かってしまう。ここは米軍と協力する北部同盟とタリバン の最前線であり、激しい空爆と北部同盟の包囲が迫っていた。5人は帰るに帰れず、ついに11月、北部同盟の侵攻が始まる。5人はパニック状態の中、撤退す るタリバンの車に乗って脱出を図るが、その際にムニールだけがはぐれてしまう。郊外に逃げたトラックにも攻撃は加えられ、ムニールとはそれきり再会するこ とは出来なかった。
 夜間の攻撃を受け、命からがら助かったシャフィク、アシフ、ローヘルだったが、ザヒドはひどい傷を負ってしまう。そこに北部同盟のトラックがやってき て、彼らは捕虜として連行されることに。射殺されるのではという不安感の中、蒸し暑いトラックでマザリシャリフへ連れて行かれる。途中で北部同盟のトラッ クへの銃撃で多くの人が死亡する。
 2001年12月、アフガニスタンのシェベルガーニ収容所に4人は収容される。そこには、多くのタリバン、外国人義勇兵が捕虜となっており、劣悪な環境 だった。4名は赤十字や外国人記者に英国人であることを告げようかとも考えるが、パキスタン人でいた方が安全だろうと判断する。しかし、12月30日にな り、アメリカ軍がやってきて、英語の話せるローヘルが司令官の前に連れ出される。そこで、英国のバーミンガム出身だと明かしたローヘルだったが、司令官は アルカイダの一味と判断、シャフィク、アシフとともにアフガニスタン南部のカンダハル航空基地に設置されたアルカイダ一時収容所に送られる。そこでは、話 すことも寝ることもままならない厳しい環境で、尋問が続けられる。アシフの尋問にはイギリス兵を装った士官が登場し、英国内での犯罪記録をもとにアルカイ ダと決めつけられる。
 2002年になり、アシフとシャフィクはキューバ東部にあるグアンタナモ基地に送られる。そこはテロリストだけが収容される完全隔離施設で、金網に囲ま れ、自由など全くない施設であった。1箇月半は檻の中、礼拝も絶つことも許されず、2週間は話すことも禁じられた。
 そのうち、英国大使館の職員が面会に来る。しかし、アシフの話しを信用してくれない。一方、アフガニスタンに残されたローヘルのもとにもイギリス情報部 を名乗る男が、アルカイダだろうと詰め寄っていた。その後、ローヘルもグアンタナモに送られ、アシフとシャフィクは3箇月、ローヘルは6週間金網の中に拘 留された。
 その後、デルタ収容所と呼ばれる個室に収容されるが、そこでFBIやCIAの尋問が行われる。尋問官は強引に彼らをアルカイダに仕立てようと、アルカイ ダ集会の映像を見せて、そこにいただろうと言う。下だけアディダスのジャージだと言っているのに上下アディダスの男を指したり、イギリス国内にいたという 証拠があるのに2000年8月1日の集会にいたと決めつけようとする。彼らの自白を導き出すため、隔離房に入れられ、轟音のヘッドホンをさせられたり、冷 蔵庫での不自然な姿勢での放置など、精神的・肉体的な拷問が続く。ついに、精神的にまいったアシフはアルカイダの兵だと認める。してやったりの米兵だった が、アシフは逆に正式な裁判ができると喜ぶ。
 英国大使館の職員が彼らのえん罪の証拠を持ってやってくる。謝る職員だったが、アシフらは信用できないと追い返す。1日4食となるなど、待遇は良くなっ たが、さらに3箇月拘留が続く。米軍はテロに荷担したとサインしろと迫るが、3人は拒否する。ついに、2004年3月7日、彼らは解放され英国に帰国す る。
 2005年7月2日、改めてアシフの結婚式がパキスタンで行われた。英国からシャフィクとローヘルも駆けつけ、改めて自由をかみしめる。
 ザヒドはパキスタンに送られ、2005年7月に釈放された。ムニールは行方不明のままだ。

 

(2007/07/26)