「明日への遺言」
評価★★★★ 法戦を闘った岡田中将の遺言
2008 アスミック・エース 監督:小泉堯史
出演者:
藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックイーン、富司純子、蒼井優ほか
110分 カラー
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名古屋無差別空襲で撃墜されたB−29搭乗米兵を処刑した罪で、B級戦犯として絞首刑となった第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将の
「法戦」を巡る秘話を描いたヒューマンドラマ。原作は大岡昇平の「ながい旅」で、部下を守りリーダーとして一人絞首刑になることを「本望である」と受け入
れつつ、米軍の非人道的無差別爆撃が国際法違反であることを主張した、戦勝国による一方的な裁判と闘った男のノンフィクションである。映画化にあたり主演
の藤田まことは、実在の人物を演じることに悩んだということだが、本作では見事岡田中将になりきったかのような名演技を魅せた。
この手の作品は「戦争美化」だとか、「日本の戦争責任の回避」だとか、「右傾化を増長する」といった論評を受けやすいものだが、もし本作を見て本当にそ
う思うのであれば、非常に残念なことだ。
本作は、確かに軍事裁判を題材にし、岡田中将の法戦を描いたものではあるが、その内容の是非は主眼ではない。この世に生を受けた人間としてあるべき道の
一つの実践例を示すものであり、岡田中将の人格や思想信条を正すものでもない。そこには岡田中将の人間としての尊厳、そして実践に対しての尊敬の念のみが
存在する。人間の尊厳は、法や社会体制、さらには時の価値観に勝るものであり、移ろいゆく時代の流れの中においてでも、決して変わる事のない人間の原点で
ある。本作において、人間としての尊厳を守ろうとする岡田中将に尊敬の念を感じることが出来れば、それで十分なのだろうと思う。本作において、たとえ製作
者にそれ以上の企図がたとえあったとしても、その比重ははるかに低いものとなっている。
尊敬は信奉とは違う。決して彼の行動や言論をそのまま受け入れるというのではない。人間が存在する以上争いは絶えない。人間が人間を裁く以上完全なる公
平は不可能である。善悪の二元論、唯物史観に毒された我々の視点で見れば、岡田中将の取った行動、軍事裁判そのものに対して、一つ一つの是非の論争がある
だろう。しかし、人の価値観が多様である以上、結論付けること自体無理であり、法による線引きは人間の尊厳を包含することなどできはしない。
岡田中将は米軍の無差別爆撃を国際法違反と主張し、米兵殺害を米軍規定にある「報復」ではなく「処罰」と言い切る。彼が「法戦」と位置付けるこの裁判だ
が、彼自身多くの矛盾が存在することを感じていたであろう。国際法違反かどうか、軍規違反かどうかの論点は、裁判上重要な論点となるが、違反でなければ何
でも良いのかという矛盾がある。名古屋空襲で多くの犠牲を出した国民の気持ちの代弁者として、戦時の軍人として責務を共有した責任者として、人として彼が
背負うものは非常に大きい。裁判で勝てばいい、白黒がつけばいいというものではなく、それ以前に人として伝えるべき、信ずるべきものがあるのだ。命を賭し
てまっとうする姿に、人として尊敬の念を抱くのだ。
その対比には、平然と寝返る戦後法務局の元軍人、自己責任を回避しようとする軍幹部がある。戦後多くの国民が責任を回避し、他人に責任を押し付けてき
た。戦争責任は個人に帰結するものではなく、世論を形成した国民全員で負うべきものではなかったか。生活が苦しいのも、社会が不安なのも、全て役所や政治
家のせいにしてしまう、現代への警鐘のような気がした。
岡田中将の姿を理想の上司、リーダーと論じる声も聞こえる。だが、間違ってはいけないのは、この上司と部下の間には全幅の信頼がなければならない。上司
の命令は絶対であり、上司は部下の行動に全責任を負う。もはや、個人主義が闊歩する現代において、我々には到底なしえない姿なのかもしれない。
映画としては、ややインパクトに欠ける。ノンフィクション母体ということもあるのだが、法廷シーンと収監シーンがほとんどで、面白みや娯楽性はかなり低
い。随時、竹野内豊のナレーションで解説は入るが、軍事裁判の背景や国際法などの知識は最低限必要となる。そういう意味で、テレビドラマ的なチープさを感
じてしまう。個人的には名古屋空襲や列車への機銃掃射シーンの映像があったほうが良かったかとも感じたが、あえてそういうシーンを入れないことで恣意的な
感情を排除し、岡田中将の心に集中させたのだとすれば、それもありかとも思う。娯楽性を求める人にとっては、退屈に感じるだろう。
本作の大部分は裁判シーンではあるが、実際の裁判内容を映画に置き換えるにはやや時間が足りない。だが、戦犯容疑の是非を問う映画ではないとすれば、そ
れで十分だろう。岡田中将の人間性を表すシーンも適度だった。心情に深入りしすぎず、数少ない言葉によって、人としての生きかたを自分自身に照らし合わせ
ることができる余裕を持たせてあるのが良い。カメラワークも動きが少ないが、淡白に見えるこの作り方は、視聴者に考えさせ、余韻を残すうえで効果的だった
と言える。
感涙したシーンとしては、敵対する立場のバーネット検察官との会釈シーン、フェザーストーン弁護人と傍聴席の家族との交流シーン、岡田中将の裁判委員長
ラップ大佐への感謝の言葉シーン。いずれも、敵国米国人との交流シーンだが、そこには全てのしがらみを越えての、人としての尊厳がある。結果として絞首刑
を宣告せざるを得ないが、後にバーネット検察官が減刑嘆願を出した事でわかるように、人である以上、法律解釈では片付けることのできない気持ちは世界共通
であることに、安堵した。
その3人のアメリカ人を演じた役者の演技は見事だった。なかなか難しいであろう顔の表情で、言葉の奥にあるものを演じ切っており、藤田まこと以上とも言
える存在感を醸し出していた。
人はその場その場の立場環境で、多くのしがらみに縛られる。そのしがらみや法律、規範に縛られながらも、人は人としての尊厳を持って生きていかねばなら
ない。現代社会では、法令や白黒をつけたがるマスコミ等の世論によって、監視型社会になりつつある。だが、その前に人としての尊厳を忘れてはいまいか、そ
う岡田中将が語っているように思えてならなかった。
追記:比較映画として「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア(2005独)」を見ると興味深い。こちらはドイツのニュルンベルグ裁判で軍需相シュ
ペーアの裁判を描いたもので、ドイツ人の戦争に対する考え方や軍事裁判への対応がこうも違うものかと感じる。特に、ゲーリング等の判決後の姿勢に、本作の
岡田中将のような礼節や尊厳というものがまるで感じられないのは、やはり日本人には礼と義理を重んじる特性があるのだと再認識できる。
興奮度★★★
沈痛度★★★★
爽快度★★★
感涙度★★★★★
(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)
1948年3月、巣鴨プリズンに、名古
屋空襲で被弾し捕らえられた米軍機搭乗員殺害の罪でB級戦犯となった陸軍第13方面軍兼東海軍司令官岡田資中将の
姿があった。起訴罪状は38名の米兵を正式審理を行わずに、略式起訴で斬首したというものだった。同罪で他に参謀大西大佐以下実行者など19名が起訴され
ていた。
岡田中将は、ジュネーブ条約に反し無差
別爆撃を行った米兵は捕虜ではなく、戦犯だったとし、略式起訴の正当性を主張。さらに米軍の無差別爆撃の事実を白日のもとにさらすことを目的に、「法戦」
として戦う事を決意する。
弁護人はフェザーストンで、岡田に親近
感を覚え、その弁護に懸命となる。熱く語り、傍聴席の岡田の家族に対する温かい配慮は敵国だった人間とは思えない
ほどであった。弁護側証人には無差別機銃掃射に遭遇した車掌守部和子、空襲で多くの孤児を失った孤児院院長、空襲地帯に軍需工場がなかったことを証明する
東海軍軍需監理局第一部長町田であった。
一方、主任検察官はバーネット少佐で、
鋭く辛辣な追及が続く。証人には東海軍伍長相原、元法務官武藤少将、法務局長杉田中将であった。しかし、バーネッ
トは次第に岡田中将は全責任を負って死ぬつもりであることを感じ始め、時には岡田中将を弁護するかのような質問さえするようになる。
裁判委員長のラップ大佐までもが、岡田
中将の部下を救い、責任を全て負おうとする確固とした姿勢に共感し、救いの手を差し伸べるが、岡田中将はきっぱりと全責任を負うことを明言する。
1948年5月、結審となり、岡田中将
は絞首刑が申し渡される。岡田中将はラップ大佐に、公正な裁判を行ってくれたこと、米軍の無差別爆撃を取り上げてくれたことに感謝の意を述べ、傍聴席の妻
に向かい「本望である」と言う。
巣鴨の第5棟に移り、日蓮宗の座禅に没
頭する岡田中将は、部下の減刑に嘆願を願い出る。岡田中将本人に対しても、フェザーストン、バーネットから助命嘆願が出されるが、マッカーサーがそれを受
け入れることはなかった。
1949年9月、岡田中将は処刑され
る。
(2008/03/01)
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