|
|
|
|
| 今の東京都練馬区光が丘公園。かつては「グラントハイツ」と呼ばれた時代があった。埼玉県のモモテハイツと同様、米軍の接収地であ
り、米軍居住地として最大10000人余りの人が居住していたという。東武東上線上板橋からここまで引き込み線路が敷設されていた時期もあったそうだ。
その昔、この地は陸軍成増飛行場として整備されていたらしい。おかげで空襲の標的にもなったと聞いている。どうりで近所に防空壕が多 かったわけだ。 戦後に米軍がキャンプ地として接収したわけだが、その撤収はモモテハイツよりも早かったようで、昭和34年に横田基地等へ移動していっ たようだ。その後、オリンピックの選手村等で近隣のキャンプ地が日本に返還され,このグラントハイツも昭和47年頃から返還され始めた。 私は、ここで米軍の姿を見ることはなかったが、小学校低学年の頃はちょうど返還されたばかりで活用計画も全くなく、簡単なフェンスに囲
まれた大草原であった。背丈よりも大きい草地は格好の戦争ごっこの舞台だった。
中学校に入ると、徐々に光が丘公園(団地)としての整備が開始され始めた。草原は平地に整備され、道路が通り始めた。綺麗に刈られた草 原はサッカーの格好の練習場所だった。強豪チームであった我が中学のサッカー部は,「影練」と呼ばれる土日(指導者不在でOBの鬼コーチが強制的に召集す る)練習をここでしまくった。寒い冬にはウイスキーを口に含みながらの練習であった。 中学時代のある日、大事件が起こった。我が中学は喧嘩も強い不良校。対立する他区の中学とグラントハイツで果たし合いをすることになっ た。我がサッカー部にも助っ人の要請がきて、バットや鉄パイプをもってグラントハイツに集合。双方合わせて50人余りの大乱闘か。と思ったところへパト カー来襲。双方ともちりじりに逃げたが、数名が補導。私は、一般通行者のふりをして難なく脱出。でも、手にはバットを握りしめたままだった(汗)。 今では、高層マンションの建ち並ぶ光が丘団地。公園には休日ともなると大勢の家族連れが楽しんでいる。当時の面影を残すものはなにもな い。 |